西城秀樹さん 「喪失感」と「時代を共有した時代」。あの頃私は何をしていただろう

西城秀樹さんの追悼番組を見た。

見ている時、心の中で、この歌は自分が何歳の時だったろう、このCMは何年生くらいの時に流行っただろうなどと、自分の人生の場面場面に重ね合わせていた。

1970年代から80年代までテレビの中で爆発的に活躍していたヒデキは、私の小学生時代から高校生時代を網羅する。
日常の共通認識が間違いなくテレビからきていた時代なので、学校の話題は当然のようにテレビからくる。

カラオケなどまだないし、個ではなく大勢で歌う時代だったから、教室や遠足のバスの中で皆で歌い、皆で「激しい恋」や「ヤングマン」の振り付けを真似た。家族団らんドライブしているときも、車の中で親子で歌った。

1万人以上の参列者があったというヒデキの告別式では、誰もが時代の喪失感のようなものを感じているのがひしひしと伝わってきた。
あの頃の私がみていたヒデキが亡くなった。あの時代が失われた。

「時代を共有できる時代のスター」という分野があるような気がする。
美空ひばり、石原裕次郎、グループサウンズ、沢田研二、山口百恵、ピンクレディなどがそうだろうか。
そして西城秀樹。

あの歌がヒットしていた時、自分は何をしていたか、という基準。

それは、そこにいて体験した人にしかわからない。しかし共有した者同士の横のつながりは大きい。

その基準を共有しているから、後にヒデキが、病気と闘う姿勢を隠さないことを己れが生きていく軸としたことについて、より一層の感動と共感をもって見ていたのではないか。

「ヤングマン」の破壊力は本当にすごかった。

毎日毎日、私たちはテレビを通してそのエネルギーをあびていた。

強烈なエネルギーを意のままに爆発させていた一歌手が、病によって失意におちいり、なおもそこから再び奮い立ち、何度でもエネルギーをたくわえて次に向かおうとする姿勢を、誰もが頭の片隅において静かに見守っていたように思う。

それは、手の届かないスターとはいえ、共に歩んだような気さえする共有感があるからに他ならない。

西城秀樹という存在が作ったひと時の時代の空気。

ヒデキの死で得てしまった喪失感は、自分も含まれているその時代の空気の塊そのものが、すっぽりと抜け落ちてしまったような喪失感ではないだろうか。

しかしそういった時代の空気を家族や友人と共有できる時に生きてこられたことは、自分にとっては幸せなことのように思う。

今の時代に生きている若者は、きっと全く別の感覚をもって、この「時代」を「幸せ」に捉えるのだろう。

1973年のヒデキのヒット曲、『ちぎれた愛』の歌詞を思い出した。

空や海に向かって、「悲しめ」とヒデキは歌う。
告別式の青い空に向かって、そう思った人もいるかもしれない。

西城秀樹さん、
私の青い空の中で、あなたはいつまでも歌っています。

この記事を書いた人

ひいらぎ

ひいらぎ

"ひいらぎ"と申します。

東京在住。

小さい頃からSF、タイムトラベル、異次元、吸血鬼、輪廻転生など、見えない世界、異質な世界にとても興味がありました。

現在は、古神道を学びながら、全国の神社をご参拝しています。