牧野富太郎の業績と笑顔|日本の植物分類学の父。高知県立牧野植物園

高知県立牧野植物園を訪れた人は、牧野富太郎の業績と笑顔に驚くと思います。

発見・命名した新種の植物は、1,500種類以上。
収集した標本は、40万枚。

業績、すごい。人生も笑顔も、すごい。

昭和天皇とも交流があった生涯

牧野富太郎は江戸末期の文久2年(1862年。明治が始まる3年前)4月に高知県に生まれました。
主に東京で研究を続けながら、日本全国に植物採取の旅に出かけ、昭和32年、94歳で永眠します。

その間、日本よりはるかに研究が進んでいた世界中の学者たちとやりとりをし、また昭和天皇とも交流がありました。

幼少時に両親を無くすも、神童のような優秀さを発揮し、東大へ

生まれは裕福でしたが、父は3歳、母は5歳の時に亡くなり、祖母に育てられます。

11歳で漢学や英語を学び、12歳で小学校へ入学。しかし既に高度な学問を身につけていた富太郎は授業に飽き足らず、2年で自主退学。
15歳で小学校の臨時教員となります。

好きを仕事にする

富太郎が小学校で唯一興味を惹かれたのが、文部省掛図の「植物図」という本だったそうです。

最近、「好きを仕事にする」「好きなことだけやって生きる」ということがさかんに言われています。富太郎はわずか11歳で見つけた「好き」を、生涯をかけた仕事にしたということです。すごい。

やがて東京大学で植物学を学び、植物採取と写生をする生活に入っていきます。

若い頃の富太郎、俳優さんのような男前です。

20代終わりは不遇の時代。研究争いで大学を追われ、ロシア留学も、ロシアの恩師が急逝して中止に

失意の時代を経て、30代前半にようやく大学助手となり、研究に没頭していきます。

天性の描写力に恵まれた富太郎は、このころ、「自らが図を描く」という研究スタイルを築きます。

さかなクンもそうですね。研究者としても素晴らしいですが、対象物の描写力がハンパじゃない。

「大日本植物誌」を刊行し、世界的評価を得る

しかし、標本や書籍には惜しまずにお金を使う生活は大変苦しく、妻の壽衛(すえ)は13人の子供を抱えつつ、高利貸しから金を借りるなど、大変な苦労をしたそうです。

大正初年、富太郎50歳の頃、ついに借金が3万円(現在の数千万円)を超え、日本の貴重な標本を海外に売ろうとします。そのとき神戸の大金持ち、池長孟が彼を救い、その標本で「池長植物研究所」を作ります。

植物採取は必ず蝶ネクタイの正装で出かける

富太郎の写真を眺めていて気づくのは、とにかく蝶ネクタイ姿(正装)が多いということです。
木でも草でも土の上でも、この人は蝶ネクタイでころがっています。その姿がとっても素敵です。

大地でも

山の中でも

松茸に寄り添う時もほかの人がシャツ1枚でも、富太郎は正装です。

ものすごくユーモアにあふれ、チャーミングな人

笑顔でもわかりますが、富太郎はものすごくひょうきんなで楽しい人でした。

杉の木の間から顔を出して、お化けのマネをしています。

数百の和歌、俳句、川柳、都々逸(どどいつ)

また、数百を超える和歌や俳句、川柳、都々逸を残していて、中には男女をうたったお色気系などもあり、とてもチャーミングな一面を持っています。

植物園の中にある「牧野富太郎記念館」で、それらの歌をみることができます。

命名・発見した新種1500以上

【ヤッコソウ】
富太郎により、ラフレシア科の親属新種として1909年に「植物学雑誌」に発表された寄生植物。

こちらは、植物園内にあるヤッコソウの模型です。
いきなり現れて、びっくりしました。

明治23年には江戸川の河川敷で珍しい水草を発見。新種として発表し、「ムジナモ」という和名を提唱します。

また仙台でイネ科の多年草である笹を発見したときは、昭和3年に54歳の若さで亡くなった妻・壽衛(すえ)を偲んで、「スエコザサ」と命名しています。

草木は私の命でありました

晩年の富太郎の言葉です。

記念館に、晩年の富太郎の様子が再現されています。
熱心に図を描いています。植物標本があふれかえっています。

私は下記の2つの歌が、富太郎の生涯をさらに見事に表していると思います。

「草を褥(しとね)に木の根を枕 花と恋して五十年」*しとね=ふとん

「沈む木の葉も流れの具合 浮かぶその瀬もないじゃない」

 

とにかく私はこの人が好きすぎて、植物園を訪れると4時間も5時間も滞在してしまいます。
園内の1つ1つの草、花、木の後ろに、富太郎の笑顔がかくれんぼしているようにさえ思います。

今、私たちが花を見て、その分類や種類、学名や和名を知ることができるのは、牧野富太郎がいたからです。そう思って植物園を訪れると、その生涯の大きさを、とてもよく感じることができます。

尚、こちらの記事を書くために、2冊の本から写真を多数引用させて頂きました。

「牧野富太郎写真集」と「牧野富太郎の本」です。

牧野博士が好きすぎて、また明日にでも、高知へ飛びたい気持ちです。

この記事を書いた人

ひいらぎ

ひいらぎ

"ひいらぎ"と申します。

東京在住。

小さい頃からSF、タイムトラベル、異次元、吸血鬼、輪廻転生など、見えない世界、異質な世界にとても興味がありました。

現在は、古神道を学びながら、全国の神社をご参拝しています。