東京「上野の森美術館」で、『ミラクルエッシャー展』が開催されています。
エッシャーはだまし絵の天才。
誰でも、ひとつか二つは、エッシャーの絵を見たことがあるはず。
無限に登り続ける階段。永遠に落ち続ける滝の水。魚が鳥になり鳥が屋根になり屋根がチェスになり・・・。
作品数も多く、かなり見ごたえのある展示です
暑い日は、「異次元体験」をしに、涼しい美術館へGO!
エッシャーの類まれな才能は、下記の一文に集約されている
コンピュータのない時代に「版画」で作られた緻密かつ独創的で”ミラクル”な作品は、数学者や建築家といった幅広い専門家やクリエイターに影響を与え、今もなお多くの人々を魅了し続けています。
「ミラクルエッシャー展」公式サイトより
そう、エッシャーは120年前の人。コンピューターはまだない。
それなのに、驚くべき緻密さで作品は構成されています。というか、緻密でないと完璧なだまし絵にならない。
現実にはありえない建物の構造。どう描けば「錯覚」が不自然でなくなるか
エッシャーは錯覚を起こす構造を徹底的に追求したと言われています。
例えば、ベルヴェデーレ(物見の塔)というだまし絵の作品。
一見どこが変なのか、わからなかったりします。
「え?普通の塔じゃん?」ってな感じで。
よくよく見ると、全然普通じゃありません。
ありえない建物です。
展示は8つのパートで構成。エッシャーの作品がどんどん進化していく
エッシャーの進化を時系列で展示しています。
1.科学
2.聖書
3.風景
4.人物
5.広告
6.技法
7.反射
8.錯視
我々がよく知っている作品は、主に8の「錯視」です、多分。
でも全ての作品が面白いので、パート1から本腰入れて観てしまい、肝心のパート8「錯視」にたどり着く頃にはかなり疲れました。
驚いたことに、全て「絵」ではなく「版画」です
この人は版画家です。
作品はみなリトグラフや木版。絵じゃないんです。
どうやって作ってるのかわけわからない感じです。
天才。
エゴはゆるぎなく彼の世界の核であり続ける
展示の中で最も気になった作品が「写像球体を持つ手(球面鏡の自画像)」。
地味だからか、絵葉書も売ってなかったけど、何と、出口でもらったウチワのデザインがそれだった。
ラッキー。
この作品のどこにひかれたかというと、添えられている「解説」の凄まじさだった。
「解説」を読んで、初めてエッシャーのスケールの大きさを感じた。
まず大前提として、この作品、球体の中心は「顔」でなく「目」である。
その上で(以下、覚えている範囲で)
彼がいくらよじったりひっくり返ったりしても、その中心点から逃れられない。彼のエゴはゆるぎなく彼の世界の核であり続ける
彼がいる部屋、座っている椅子、球体を持つ手など、球体の中では全てが歪められ、奇妙な広がりを見せている。しかしその中心点にある彼の(あるいはあなたの)目だけは決して動かない。それがあなたの世界の核であり、逃れられないものである。
つまり世界とはそういうものだ。
世の中がたとえ錯覚でできただまし絵であっても、たとえどんなに歪んでいても、世界の中心にあるのは自分の目であり、揺るがない。自分は自分の中心から逃れられない。
自分の核だけは、錯覚ではない。
エッシャーの世界の全てを語っているような作品で、心にグサッとささりました。
自分を見失いそうになったとき、きっと見たくなる一枚。
エッシャー展は秋には大阪へ
東京は7月29日まで。
その後順次、大阪(11月)、福岡、愛媛と回っていきます。